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醉醒笑 

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2009年 08月 03日

三伏夏闌

「三伏夏闌」----三伏夏真っ盛り----
三伏(さんぷく)は陰陽五行説に基づく選日の一つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称。

庚(かのえ)は「金の兄」で金性であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。
そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。

三伏の日取りは流派により異るが、最も一般的なものでは夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とする。
他に、夏至以後の3回目・4回目・5回目とするものや、小暑以後の1回目・2回目・3回目とするものもある。
いずれの方法でも、起算する日が庚である場合はその日を1回目とする。

種まき・療養・遠行・男女の和合など、全て慎むべき日とされている。

三伏の時期は、7月中旬から8月上旬と、ちょうど酷暑の頃なので、「三伏の候」「三伏の猛暑」と手紙の前文に書くなど、酷暑の頃を表わす言葉として現在も用いられている。


雨上がり直後、群青の空に急速に雄大積雲となりつつある夏雲、雲下は間もなく夕立に見舞われるかも知れない。
出際のバス停で見上げた青空と雲との対比が目に鮮やかで、背景や構図の位置を取るいとまも無いまま、ただシャッターを切った。


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# by gettenn66 | 2009-08-03 10:25 | Comments(0)
2009年 07月 26日

暑中お見舞い

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# by gettenn66 | 2009-07-26 19:59 | Comments(0)
2009年 07月 22日

東京特派員 湯浅博

 畢生希代のコラムニスト故山本夏彦氏の、ことあるごとに口をついて出る言葉に「出来てしまったものは出来ない昔にもどれない」というのがある。
氏の昭和63年頃のコラムの一つだったと思うが、『日教組系の「国民教育研究所」が中3と高3の生徒に行ったアンケートに、高校生の約半数が「核兵器は無くせない」と思っていると、読売新聞が報じた。核兵器は人間の力では無くせないと思うと、広島の高校生の46.2%、全国では45.2%が答えたと言う。これはいくら原爆許すまじと叫んでも甲斐ないことを、高校生の半ばが知っていることを示している。』そして冒頭の「出来てしまったものは出来ない昔にもどれないと思っている」と結ぶのである。
同じく氏はことあるごとに「死ぬの大好き」とも言う人で、コラム集のタイトルにまで用いている。だからといって決して氏はニヒリストではないし、破壊的言辞を弄するをもって快としているのではなく、老いて益々盛んなお色気もあった人と聞くから、「さあ、皆さんどうする、為政者よ如何なさる?」と、問いかけているのであると思う。
 久しぶりの「東京特派員」湯浅博氏のコラムに、今は亡き山本翁を偲ぶ。
我が国のメディアは常には保守的な面での非米反米を通例としながら、曾てのケネディ的なものには柳に風の靡くように総追従の感である、チェンジのオバマ氏についても条件反射の如き様相であるが、その真意まで読み解き伝えられているか疑わしい。
我々大衆にリテラシーを求められても生憎その為の物差しやメスを持ち合わせてはいないのである。

【湯浅博の世界読解】悪魔は二度と地下に潜らない
              2009.7.22 08:12このニュースのトピックス:核・ミサイル事情
 
 それが可能であるなら、「核の廃絶」を望まぬ者などはいない。だが、良心的な核の開発者が手を引いたとして、良心的でない核開発者が代わってその開発に携われば事態は少しも変わらない。むしろ、「事態は悪化する」と見破った大論争家がいた。
 戦後保守主義の論客、福田恆存(つねあり)である。そこから導かれる結論は、「『悪魔』は一度地上に出現してしまった以上、二度と地下には潜らぬであらう」という過酷な現実である。
 悪魔とは核兵器のことであり、これほどさめた目で核技術の本性を見極めた論者は少ない。
福田が挑発的な論文「現代の悪魔」を発表したのは、半世紀近くも前の昭和36年のことだった(『福田恆存評論集』麗澤大学出版会)。
 そんな福田が、オバマ米大統領によるプラハの「核の廃絶」演説を聞いたら、どう考えただろう。
一般的に「不戦の誓い」「核廃絶」など政治家の吐く理想主義ほど疑わしいものはない。そうあってほしいと願うが、国益を担う政治指導者が廃絶に言及する以上、腹にどんな一物を抱いているか分からない。
 大統領が「核廃絶」に触れて以来、世界中から称賛の嵐が起きた。やがて、時間がたつうちに国際社会はその真意を探り、隠れた意図が何であるかの論争が起きた。福田が生きていれば、「悪魔は二度と地下には潜らぬよ」と冷笑していたに違いない。
 数ある論評の中で、インタビュー記事として13日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに掲載された元国防長官のシュレジンジャー氏の見解が、この福田説に近いことをある賢人の指摘で知った。シュレジンジャー氏は核廃絶論について「米国の理想主義と米国が田舎者であることとが結合してできたもの」と、その幻想論を非難する。続いて、1928年の「ケロッグ・ブリアン条約と同じではないか」と突き放した。
 当時のケロッグ国務長官はフランスのブリアン外相とともに、「紛争の解決は戦争によらず、平和的手段による」というパリ不戦条約を主導した。
だが、英独仏はたとえ不戦条約を結んでも、「自衛権まで否認しない」と条件を付けている。
彼らの腹の中には、ソ連の対外行動を封じる一物があったのだ。案の定、条約はすぐに破られた。
 シュレジンジャー氏は核についても、「核廃絶を願うのは構わない。でも、それが実現しないことを祈るべきだ」と痛烈だ。なぜなら、「核のない世界」が実現したら、常にだれかがひそかに核兵器を造っていることを心配しなければならないからだという。
 福田恆存が「良心的でない核開発者がひそかにつくる」と指摘したのと同じ議論だ。
いまや、それが北朝鮮、イラン、もしかしたらテロリストであることを私たちは知っている。
 福田はまた、ある軍縮案を相手国が受け入れるのは、それが相対的に自国の軍拡につながる場合だけであるという。
だから彼は、軍縮とは「天使」のものではなく、「悪魔の化身」であると注意を喚起する。
 実際に、オバマ提案にそって核全廃が成功したとして、米国は通常兵器でもなお優位に立つ。
老朽化する核ミサイルを持つロシアは、廃棄分も削減数に数えられるから米国だけが実質的に減らすことになるとほくそ笑む。
 米国は日本を含めて世界の30カ国に核の傘を提供している。冷戦中に西にあった核の脅威はいま、中国や北の核により東に移った。
アジアに悪魔の跳梁(ちょうりょう)がある以上、日本は「悪魔の化身」にまどわされまい。(東京特派員)


# by gettenn66 | 2009-07-22 10:01 | Comments(0)
2009年 07月 20日

那智勝浦 その5 紀の松島 太地くじら浜公園

「紀の松島」めぐり、勝浦港周辺に点在する岩礁群、浸食によって造られた様々な形の奇岩奇礁。勝浦港観光桟橋から出て途中、「太地くじら浜公園」を経由して観光桟橋に戻る一周約40分の狭い範囲の観光船がある。日本三景の松島になぞらえて「紀の松島」と称すが、規模は勿論、景色そのものも松島のそれとは比べる可くもなく、安易ななぞらえは却って興を削ぐが、南紀の海の色はあくまで青く、潮風に頬をさらせば、草枕一時の旅情を慰む。
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奇岩と言えば、串本海岸に屹立する「橋杭岩」の方が圧巻である。JR紀勢本線の車窓越しに垣間見る事が出来、大阪から勝浦方面行きでは車内放送での案内とともに徐行運転にしてその景観を楽しませてくれる粋な計らい、国鉄時代の曾ては知らぬが、これも民営化による柔軟性か。
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「太地くじら浜公園」太地と言えば鯨、江戸期より鯨の追込み漁で有名な太地漁港。
ここには「鯨の博物館」「捕鯨船資料館」「海洋水族館」等があり、ゴンドウ鯨、イルカ、鯱等のショウが時間ごとにある。鯨はご存知の通り、古来からの我が国の重要な動物タンパク源として食用に供するばかりでなく鯨油をとり、骨やひげ等は工芸品の材として余す所無く活用されてきた、独自の鯨文化がある。
近年に到って、曾ては鯨油を採る目的のみに乱獲遺棄し続けた事は棚に上げ、特に欧米人の自己本位な、「自然保護」と言う名目、くじらを人し並みに称揚する白人の身勝手「ご都合人道主義」のあおりで我が国鯨文化は衰退の一途、消滅の危機である。
その因ってくる根の部分には白人優位の典型的な「人種差別(Racial discrimination)」意識がある。シーシェパードが攻撃するのは日本の調査捕鯨船である、ノルウエーやアイスランドのそれには手を出さない。
話は飛躍するが広島、長崎を憶うが良い、彼らは決してドイツやイタリアには使わなかったであろう。彼らの言う、相手が不遜な「東洋の黄色い猿」だったからである。以前、何かで読んだことがある、正確を欠くかも知れないが、かってトルーマンに原爆使用の決断について質問した「使用に際しては良心に幾許かの痛みありや.....」に彼は指をぱちんと鳴らし、「こんなもんだよ......」と言ったそうである。
未だにその感覚は尾を引いている。我々はかほどに尻の穴の毛まで抜かれっぱなしなのである。彼のとき以来、隣りの国からまでもである。
 さて、とは言うものの、くじら博物館で見る「くじら」の巨大さとその圧倒的迫力には驚く。映像でしか見たことが無く実感を伴わぬが、もし生きてあるこの生き物を目の当たりにすればその印象は言葉に余るであろう。作り物にしてさえ、これほど巨大な生き物がいる驚きに圧倒される。
さらにはその胎児標本を見ると、勾玉様の姿は正にほ乳動物の類型を思わせて曰く言い難い感じがある。
白人どもの理不尽身勝手な論理と行動には与するものではないが、漁とは言えその殺傷を目の当たりにするには些かの躊躇を憶えるであろう。

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         紀伊勝浦駅構内の案内板
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ショートトリップ、僅か2泊3日の旅程ながら実り多く、諸々の感動と知見を得て、ささやかな南紀の旅を閉ず。


# by gettenn66 | 2009-07-20 10:39 | Comments(0)
2009年 07月 16日

熊野那智 その4

「熊野那智大社」
権現造り(熊野権現造りの特色は---切妻、妻入りで妻正面に庇がある)正面に五殿、左側に平入社殿一棟の流れ造り、豪壮華麗である。
車で青岸渡寺傍の駐車場からはすぐであるが、此処は矢張り古道の坂道を辿り、476段の石段を上って社殿大鳥居からお参りして山の高みに鎮座する荘厳華麗の社殿を仰ぎ見、青巌渡寺三重塔と併せ見る御滝を拝す本来の参詣道を経なければ感動も半減なのだが。
御由緒にによると
『神武天皇と八咫烏の物語以前、古代から「那智大滝」を神として崇め、そこに国づくりの神である「大己貴命(大国主命)」をまつり、また親神さまである「伊弉冉尊」をまつった。仏教伝来に伴って役小角を始祖とする山岳修験道が起こり、古来の神々と併せまつる我が国独自の「神仏習合」が行われ「大己貴命」の化身として「千手観音」をおまつりしたことから御滝を「飛瀧権現」と呼ぶようになり権現信仰の聖地として全国からの参詣数多となる。
(その社殿を現在地に移したのは317年、仁徳天皇の御代、その後平安時代平重盛が改装奉行として装いを新たにし、織田信長の焼き打ちに遭ったのを秀吉が再興、江戸期に徳川吉宗の尽力で享保の大改革がなされた。最新の大改修は昭和十年。)
特に平安時代は皇室の尊崇厚く、延喜2年(709年)10月宇多上皇の御幸をはじめとして後白河法王は34回、後鳥羽上皇は31回も御参詣あったと言う。』とある。

熊野那智 その4_e0065412_12154895.gif       社殿配置図熊野那智 その4_e0065412_1213165.jpg

青巌渡寺からの社殿への門、神社の門だが扁額には「那智山 熊野権現」とある、典型的な神仏習合の姿
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熊野那智 その4_e0065412_122149.jpg
熊野那智 その4_e0065412_1241266.jpg


# by gettenn66 | 2009-07-16 12:04 | Comments(0)