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2017年 08月 09日

今日8月9日 72回目長崎原爆忌 広島原爆ドームは残されたが、長崎被爆のシンボル「浦上天主堂」遺跡は何故残されなかったのか?  一私見

長崎原爆忌 2010年この日の拙ブログを再掲する

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此の稿、7年前のものの再掲である。
再掲して読んで違和感がない、むしろ時宜に叶って遺漏無いと自賛している。理由は簡単、やる人が代わってもやる事が同じだからである。八月六日だから、八月九日だから原爆忌だから、慰霊と核廃絶、世界平和を、と唱える“行事”をこなしているふうに見えてしょうがないのである。
72回目の慰霊の今尚、「核廃絶」も「核無き平和な世界」も、実効ある運動には遠く、お題目になってなってしまって、何ひとつ生む事の無い壮大な行事と化し、本来の慰霊のお祀りがお座なりになってはいないか。もっとはっきり言えば、原爆投下を命じた者を告発することこそが、最高の慰霊となると言って良い。“あやまちは、くりかえしませんから....”、何と白々しく虚しい言葉であることか。


【長崎 ナガサキ 昭和20年8月9日11時02分】 2010.08.09
今日、長崎原爆忌。この米国務次官補の言を何と聞く。
傲慢、しかし、これこそが国家の在り様なのである。
 
米国務次官補「謝罪することはない」
「我々には謝罪することは何もないが、戦争に影響されたすべての人々への敬意を示す」。
米国務省のクローリー次官補は5日夜(日本時間6日午前)、ルース駐日米大使ら米国の代表団が広島市での平和記念式に出席したことについて、ツイッターでコメントした。
 大使の出席については「日本との友情の印」とし、「米国は第2次大戦以降に日本の復興を助け、敵国から確固たる同盟国に変えたことを誇りに思う」とした。
(8月6日朝日新聞)


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被爆の浦上天守堂 爆心地から500メートル   長崎平和研究所 資料から

熱線に焼け爛れた天使像
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添付2枚(左と下)の写真は『浦上天主堂(長崎市)・写真満載九州観光 - よかとこ』から転載

再建された現在の天主堂e0065412_1453252.jpg

茹だるような灼熱の八月この日、長崎原爆忌。
 八月六日の広島原爆忌とともに、半ば形骸化したような思いが拭えない65年目の悪夢の記念日である。なぜか長崎原爆忌の影が薄い。
「広島ーヒロシマ」は将に人類史上初めての大量破壊兵器「原爆」の被災地である。その惨状の様を見てなお、さらに長崎への二の矢が必要であったのか。アメリカの、白人の、残虐性と彼らの根底に流れる白色優位、有色蔑視の人種差別の成せるわざ以外の何ものでもない。況や戦争の一場面一現象として看過出来ない、明らかな無差別大量虐殺、彼らが唾棄したホロコーストそのものでしかない。
 誰も指摘しないが、長崎「浦上天守堂」の被爆残骸の姿を斯くも早々と撤去再建した理由と経緯とは何故かに、思いを致してみるがよい。それは白人キリスト教者達が、自らが信ずる神の住処を、さらには秀吉により処刑されたキリシタン26聖人像、天使像などを、キリスト者自らの手によって熱線で焼き、焦熱地獄と化し、破壊したことに愕然としたからである。浦上天守堂の地獄絵は、正視に堪えないおのれ自身の悪魔の所業の姿を見せつけたのである。そのおぞましい罪の意識、だから早々に隠したかった、隠さねばならなかったのである。
広島原爆ドームと浦上天守堂の無惨を比べてみるがいい、広島のそれは言わば鉄筋コンクリートの無機物である、だが、長崎のそれはまさに生きた神の告発の姿だったのである、だから正視に耐え得なかったのである。だから隠した。
 而して尚、米国務次官補のこの強弁である、勝者の正義が正義なのである、勝者の論理で歴史は裁かれ作られるのである。
原爆投下を命じたトルーマン大統領はある時、記者の「原爆使用に際し、良心に照らして何らかのためらいは...?」との問いに、指をパチンと鳴らし、ひと言「こんなもんだよ....」と答えたそうである。


 茹だるような灼熱の八月この日、「ナガサキ」
広島の影にやや取り残されたような思いが拭えぬ「長崎原爆忌」。
渺茫たる哉六十五年、今こそ、往時の「浦上天守堂」被爆無惨の姿をこそ復元開示し、世界に、就中アメリカに向けての告発とせよ。
                       2010年8月9日 11時02分 記

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by gettenn66 | 2017-08-09 06:22 | Comments(0)


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