2018年 08月 10日
今日、73回目の長崎原爆忌 、2010年この日の拙ブログを再掲する。 此の稿、5年前のものの再掲である。 再掲して読んで違和感がない、むしろ時宜に叶って遺漏無いと自賛している。理由は簡単、やる人が代わってもやる事が同じだからである。八月六日だから、八月九日だから原爆忌だから、慰霊と核廃絶、世界平和を、と唱える“行事”を、ただこなしているふうに見えてしょうがないのである。 68回目の慰霊の今尚、「核廃絶」も「核無き平和な世界」も、実効ある運動には遠く、お題目になってしまって、何ひとつ生む事の無い壮大な行事と化し、本来の慰霊のお祀りがお座なりになってはいないか。もっとはっきり言えば、原爆投下を命じた者を告発することこそが、最高の慰霊となるのではないのか。 “あやまちは、くりかえしませんから....”、誰が作ったのか知らぬが、何と白々しく虚しい言葉であることか。
【長崎 ナガサキ 昭和20年8月9日11時02分】 2010.08.09 今日、長崎原爆忌。この米国務次官補の言を何と聞く。傲慢、しかし、これこそが国家の在り様なのである。 『米国務次官補「謝罪することはない」 「我々には謝罪することは何もないが、戦争に影響されたすべての人々への敬意を示す」。 米国務省のクローリー次官補は5日夜(日本時間6日午前)、ルース駐日米大使ら米国の代表団が広島市での平和記念式に出席したことについて、ツイッターでコメントした。 大使の出席については「日本との友情の印」とし、「米国は第2次大戦以降に日本の復興を助け、敵国から確固たる同盟国に変えたことを誇りに思う」とした。(8月6日朝日新聞記事から)』 今年、広島原爆忌には、世界百余国の代表が参列したという。原爆惨禍の爪痕を見て、その人々の胸に去来したものは何だっただろうか。 被爆の浦上天守堂 爆心地から500メートル 長崎平和研究所 資料から 熱線に焼け爛れた天使像 再建された現在の天主堂 茹だるような灼熱の八月この日、長崎原爆忌。 八月六日の広島原爆忌とともに、半ば形骸化したような思いが拭えない65年目の悪夢の記念日である。なぜか長崎原爆忌の影が薄い。 「広島ーヒロシマ」は将に人類史上初めての大量破壊兵器「原爆」の被災地である。その惨状の様を見てなお、さらに長崎への二の矢が必要であったのか。アメリカの、白人の、残虐性と彼らの根底に流れる白色優位、有色蔑視の人種差別の成せるわざ以外の何ものでもない。況や戦争の一場面一現象として看過出来ない、明らかな無差別大量虐殺、彼らが唾棄したホロコーストそのものでしかない。 誰も指摘しないが、長崎「浦上天守堂」の被爆残骸の姿を斯くも早々と撤去再建した理由と経緯とは何故かに、思いを致してみるがよい。それは白人キリスト教者達が、自らが信ずる神の住処を、さらには秀吉により処刑されたキリシタン26聖人像、天使像などを、キリスト者自らの手によって熱線で焼き、焦熱地獄と化し、破壊したことに愕然としたからである。浦上天守堂の地獄絵は、正視に堪えないおのれ自身の悪魔の所業の姿を見せつけたのである。そのおぞましい罪の意識、だから早々に隠したかった、隠さねばならなかったのである。 広島原爆ドームと浦上天守堂の無惨を比べてみるがいい、広島のそれは言わば鉄筋コンクリートの無機物である、だが、長崎のそれはまさに生きた神の告発の姿だったのである、だから正視に耐え得なかったのである。だから隠した。 而して尚、米国務次官補のこの強弁である、勝者の正義が正義なのである、勝者の論理で歴史は裁かれ作られるのである。 原爆投下を命じたトルーマン大統領はある時、記者の「原爆使用に際し、良心に照らして何らかのためらいは...?」との問いに、指をパチンと鳴らし、ひと言「こんなもんだよ....」と答えたそうである。 茹だるような灼熱の八月この日、「ナガサキ」 広島の影にやや取り残されたような思いが拭えぬ「長崎原爆忌」。 渺茫たる哉六十五年、今こそ、往時の「浦上天守堂」被爆無惨の姿をこそ復元開示し、世界に、就中アメリカに向けての告発とせよ。 今年はこれに加えて、およそ原爆追悼忌には場違いな、反安倍プロパガンダ、反戦、平和を叫ぶデモがが会場近くで行われ、騒がしいシュプレヒコールで溢れたという。本来の犠牲者追悼の祀りにはそぐわぬ、政治的狂騒が闖入して犠牲者、遺族の心を掻き乱している。 2015.08.09 醉鷹記す 付記:浦上天主堂の廃墟撤去、再建 1958年、当時の長崎市長・田川務が、米国セントポール市との姉妹都市締結を機に今後の日米関係など政治的背景を重視し、1958年の市議会で「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、岩口夏生市議ら遺跡保存派による、反対議会決定に反して撤去を決定した。 アメリカにとっては、良心の呵責に耐えざるシンボルとしての廃墟の姿は消えたが、さて、再建なった新しい天主堂の十字架の前に立った時、なにを思い、いかなる祈りを捧げているのだろうか。
by gettenn66
| 2018-08-10 07:39
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