2012年 01月 23日
『 3.11大震災の真っ只中にある昔は小さな静かな漁師村, 生まれも育ちも生粋の浜っ子育ち 親父は“頑固一徹の鬼船頭”と異名をとった男・・・今はもう居ない。その頑固鬼船頭を支えた世話女房の母も92歳で去年の春オヤジのもとへ旅立った。そんなおふくろの苦労姿を見て『俺は死んでも漁師にならん』とオヤジの期待を 見事に裏切ってサラリーマン・・そして小さな会社を妻と2人3脚で切り盛り、 20年ぶりに舞い戻ったふるさとは見るも無残な大震災の真っ只中、 遠い遠い冒険好きなガキの頃自転車で行ったふるさとの灯台・・花淵灯台 3.11に負けずに凛として太平洋を見下ろすように青空に聳えていた。その帰り道、夏休みには真っ黒になりながら日暮れまで波とカニと戯れた海辺の白砂とさざ波の上にコンクリートで塗り固めた堅固な岸壁の一部が地震と巨大津波の力でモノの見事に抉り剥ぎ取られ・・ 現れました!白砂が・・50年ぶりに その白砂を両手ですくい上げ・・号泣、号泣、号泣 ........... 〜♪なつかしき父のまた母の 膝はゆりかご ♪いつの日もいつの日も 夢を誘うよ♪ 〜〜 【ふるさとの灯台】は私の人生の走馬灯です。』 yasukatu4951 6 か月前 これはYouTubeに公開の “田端義夫(バタヤン)の唄、「ふるさとの燈台」” に寄せられたメッセージ(コメント)です。筆者yasukatu氏の過酷な現実に対した悲愁の思いが、その歌詞に込められた父母への想いと交錯して犇々と胸に迫ります。筆者氏に断わりも無く、敢えてご紹介いたします。歌詞3節を添えて 「ふるさとの灯台」 作詞 清水みのる 作曲 長津義司 歌 田端義夫 真帆片帆 唄をのせて通う ふるさとの 小島よ 灯台の岬よ 白砂に 残る思い出の いまも仄(ほの)かに さざなみは さざなみは 胸をゆするよ 漁火(いさりび)の 遠く近くゆるる はるかなる 小島よ 灯台のわが家よ なつかしき 父のまた母の 膝はゆりかご いつの日も いつの日も 夢をさそうよ 歳ふりて 星に月に偲ぶ むらさきの 小島よ 灯台のあかりよ そよかぜの あまき調べにも おもいあふれて 流れくる 流れくる あつき涙よ
by gettenn66
| 2012-01-23 19:17
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